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”別世界”

私の通った小学校は、近くの商店街をまっすぐ抜けてすぐ、子供の足で約5~6分のところにあった。昭和30年代半ば近くから後半にかけてのことである。商店街を抜けるすぐ手前あたりに、二軒の映画館があった。手前がロマンス座といい、邦画専門、となりがレアルト劇場といって、そちらは洋画専門だったと記憶している。ただし、これはかなりハッキリした記憶としてあるので、間違いないと思うが、小学校低学年か或いは幼稚園くらいの時に、近所のガキ連中に連れられて、レアルト劇場で怪獣ラドンを見に行った。小学生ばかり4~5人で、私が最年少だったはずだ。私はラドンがスクリーンいっぱいに現れた場面で恐怖が最高潮に達し、もういたたまれずに、”僕、帰る!“と一言いって映画館を抜け出した。もちろんラドンは東宝映画だから、もしかしたらレアルト劇場は洋画専門ではなく、洋画中心といったプログラムだったのかもしれない。

私の育った町は横浜の場末といっていい地域だったので、回ってくるプログラムは、今思えばほとんど封切後何ヶ月といったようなものばかりだったが、一度だけ黒澤の“椿三十郎”がロマンス座で封切になったことがある。その日(週末だったと思う)の朝は劇場の前に大きな人の列ができていたことを憶えている。親父が見に行って、”スゲー、スゲー!“と騒いでいたこともよく憶えている。

"宇宙大戦争”、“モスラ”、“マタンゴ”。これらを私はロマンス座で見た。あとはレアルト劇場で見た、”トリフィドの日“。これは私の記憶の中ではズーっと”地球最後の日”というタイトルで憶えていたのだが、いまネットで調べてみたら、“人類SOS“というのが封切時のタイトルとなっている。

確か私が小学校5年生の中ごろだったと思うのだが、まずレアルト劇場がつぶれて、建物はそのままなんとストリップ劇場に代わってしまった。その名も“別世界”。ロマンス座のほうもしばらくしてパチンコ屋に代わってしまったと思うのだが、どうもそちらに関しては記憶がさだかでない。”別世界“は、その二階前面に高さ2m以上あろうかというストリッパーのハダカ絵を4枚、ババーンとかけて、私たち小学生は毎日その大きなオッパイを拝みながら学校へ通うことになったのである。

当時は性教育など全くない時代だったし、小学5年生の私には性欲なんてものはない。そんな単語すら知らない。ハダカの女などというのは、小さい頃母に連れられて行った銭湯で見たことがあるだけだし、興味があるわけでもない。それでも”別世界“というのは”別の世界“という意味であることはわかったし、商店街のど真ん中に出現した4枚のハダカ絵がかもし出す異様な雰囲気は、圧倒的な存在感を持って小学生の私にせまった。エキゾチックといえば聞こえはいいが、なにやらいかがわしい、ある種の禁忌をまとわせたような、なんともいえない不可解な未知の世界が突然出現したのである。そして、本屋やら八百屋やらが軒を連ねる商店街の中で、“別世界“はそこだけ空間が歪んだ様な、文字どうりの別世界となった。

4枚のハダカ絵のうち3枚は忘れてしまったが、1枚だけは今でもよく憶えている。スイカを二つ胸にぶらさげたようなデッカイまん丸なオッパイのストリッパーが、頭とお尻に大きな白黒の羽飾りをつけてポーズしている絵で、なんとなく駝鳥をおもわせるヤツだ。何故憶えているかというと、実物を見たからである。”別世界’の脇は細い路地になっていて、私の家にはその路地を抜けて帰ることもできた。ある日、学校からの帰り、その路地を通ってちょうど建物の裏側にかかったあたりで、建物の裏にあるドアーが開いて、羽飾りをつけた半裸の女がヒョッコリ出てきたのだ。絵に描かれているほど大きなオッパイではなかったが、とにかく胸は見えていた。そのイメージは鮮烈に憶えている。その時、私が果たして立ち止まって観察したのか、みて見ぬ振りをしてサッサと通り過ぎたのか定かでない。女が出てきてから何をしたのかも記憶にない。ただただ、表の看板絵と同じ格好をした女を目撃したショックが、そのイメージと共に私の網膜に焼き付けられて今に至っているのである。

と、つい最近まで思っていたのだが、実はこれは何となくおかしい。羽飾りのハダカ絵は、”別世界”オープンから少なくとも2年以上はそのまま掛かっていたはずなのだ。私がストリッパーを見たのが何時のことかはハッキリしないが、少なくともオープン当初のものとは思えない。果たしてそんな看板と同じ衣装でいつまでも踊っているものだろうか?建物の後ろ側とその後ろの建物とのあいだに少しスペースがあったのは確かで、一斗缶やらが散らかっていたのは憶えている。だが、果たして本当にそこにドアーがあったか?学校帰りだから午後の三時・四時のはずである。そんな時間に、たとえ建物の裏手とはいえ、ストリッパーが衣装のまんま表に出てくるもんか?私は時々鮮烈な夢を見る。この頭の中のイメージは、もしかしたら、当時その一枚のハダカ絵に呼び起こされて見た鮮烈な夢の一景なのではないか?

”別世界“は私が高校を卒業しても続いていたが、ハダカ絵は中学を出る頃までには降ろされていた。さすがに教育委員会あたりから苦情が出たのだろう。今は”別世界“のあった場所はパチンコ屋になり、ロマンス座のあった場所はスーパーになっている。建物もすっかり新築されてしまっている。商店街にはハシからハシまで雨よけのアーチがかかり、昔の店はそのかなりが今風のチェーン店に取って代わられてしまった。しかして、果たして私の頭の中のイメージが、実際に私が目撃したものであるのか、或いは夢の中の情景が、時間の中であたかも実際に会った出来事のように固定してしまったものなのか、確かめる機会は永遠に失われてしまったのである。



2010年12月の寒い午後